グラント・ハイツ

2019年02月03日 : saito

kanto_18_009
画像参照元URL:http://www.soumu.go.jp/main_sosiki/daijinkanbou/sensai/situation/state/kanto_18.html

昔からこの地域で暮らしている方はご存知かと思いますが、
弊社事務所の目の前に広がる「光が丘公園」と
その周辺地域には、様々な歴史があります。

『練馬の地名 今むかし(光が丘)』より一部抜粋
https://www.city.nerima.tokyo.jp/kankomoyoshi/annai/rekishiwoshiru/nerimanochimei/hokuto/ima_hikari.html
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昭和22年、練馬区が独立した。時を同じくして、飛行場跡に米軍宿舎が建設されることとなり、施設はグラントハイツと呼ばれた。明治12年(1879年)に来日したこともあるアメリカ合衆国第18代大統領グラント将軍にちなんでの命名である。
それから10年余、施設の内容はだんだん縮小され、遊休化していった。昭和35年ごろから土地返還運動が起こった。23区内に残された唯一最大の空閑地である。返還の展望が開けた44年、区域全体に「光が丘」の町名を住居表示した。緑と太陽のまち練馬を象徴して名付けられた。
48年、区民一丸になっての運動がみのり、念願の全面返還が成った。
日比谷公園の約4倍になる光が丘公園は、一部が56年末に開園した。58年3月、1~7丁目の住居表示が、全街区にわたって実施された。
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そのグラント・ハイツから名前を頂いた賃貸マンション「グラント・リージェンシー」を
今年の四月上旬入居に向けて建築中です。
この地域は、アメリカ軍将校住宅グラントハイツから、兎月園(今はありませんが石神井公園の様な公園)
方向に向かい、商店街があり歓楽街としても大変栄えていたそうです。


https://www.cadx-home.com/6689/

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